Web master’s voice in Japanese (4) 2017/4/25

Kashiwara Shrine which worships first Emperor.

 

過日、神武天皇を祀る橿原神宮を訪ねました。職員長に誘われて、60人の職員が揃う朝拝に参加し、祝詞を唱える様子を拝見しました。

神道は祓いに始まり、祓いに終わるといわれ、全国八万の神社の多くで、毎朝欠かさずに「大祓詞(おおはらえことば)」という祝詞が唱えられています。

 

神道は日本人の類稀なる敢闘精神の元凶と見なされたらしく、GHQは昭和20年の12月には早くも「神道指令」を出して、国家神道、神社神道に対する国家の支援を禁じるなどの指示をしました。神道は日陰の身となり、祝詞も旧時代の遺物と見なされ、敬意よりも嘲笑の対象となってしまいました。

 

しかし、祝詞は、神と人とをつなぐ貴い役割を担っており、自然の恵みに感謝し、神の教えに帰依する心を表しています。

「大祓詞」は、皇室の歴史に手短に触れた後は、人間は沢山の罪を犯しているが、さまざまな方法の御祓いによって清められていると唱えています。

 

湯島天満宮権禰宜の小野善一郎氏によれば、人間は、本来は清らかな存在なのに、私欲により心が汚れると罪を犯すので、繰り返し祓う必要があり、祓い続けることに神道の真髄があるそうです。

 

古事記に登場する日本の神々は人間的で暖かみに溢れています。イザナギノミコトやスサノオノミコトなどの神々も繰り返し失敗を重ねます。

一神教の絶対神とは違い、日本の神々は全知全能でもなければ、天地の創造主でもありません。それぞれの神が尋常ではない優れた面はお持ちになりながらも、時に異心を抱いて、失敗も繰り返す存在です。

 

我欲を捨て、異心を抜き去って生きるのが人間の正しい道と云うのが神道の教えです。分かっていてもつい異心を抱いてしまうのが人間の弱いところです。

しかも、同じような失敗を繰り返すと、反省が足りないと落ち込んでしまいます。

しかし、神道の真髄は、それでもなお、繰り返し祓い続けることにあるといわれると、ホッとして救われる気がします。神道とは、豊かな自然の中に生まれた、優しく暖かい教えのようです。

 

古事記の神代の巻はそんな神道の真髄を教えてくれています。穢れを知らない子供たちにこそ古事記を読んでもらいたいものです。

平成29年4月25日