Web master’s voice in Japanese (11) 2017/12/28

What is Sumo Philosophy

 

元小結の舞の海秀平さんが、あるコラムで嘆いています。大騒ぎの暴行事件ではなく、九州場所十一日目の白鵬が嘉風に敗れた一番のことです。

小生もたまたまテレビ中継を見ていたのですが、勝負がついた後の白鵬は、立ち合い不成立と主張するかのように、土俵下に留まり続け、やっと戻ったら、今度は嘉風が勝ち名乗りを受けている間も、土俵から降りないという礼儀を無視した傍若無人の振る舞いです。

 

相撲道にあるまじき、ましてや力士の手本となるべき横綱にあるまじき態度に唖然とさせられましたが、さらに驚いたことには、こんな態度を目の当たりにしながら、勝負審判を務める親方衆の誰一人として注意もしないことです。

 

相撲の清々しさは、土俵上で激しく戦った後は、勝敗は行事と審判員に任せて、相手を敬う礼をして速やかに土俵を下りるところにあります。相撲道を蔑にする白鵬の暴挙に、舞の海さんは「長きにわたる大相撲の伝統がここまで崩れてしまうとは・・・」と嘆いておられます。

 

外人力士の活躍で土俵が活性化するのは歓迎すべきことです。しかし、外国の少年を受け入れる以上は、相撲協会や親方がしっかり教育する必要がありそうです。

相撲部屋の親方は十両以上の関取経験者に資格を限定し、しかも協会の幹部となると横綱、大関など現役時代に最高位近くまで上り詰めた人に限定されているようです。

相撲が国際化の波を受ける中で、親方にも、国技と云われる相撲道とは何か、相撲はスポーツか、神事か、力士のあるべき姿は、などの課題について信念を持ち、弟子を指導することが望まれるようです。

親方の資格を見直し、他分野からも呼び入れ、或いは出世の叶わなかった力士にもチャンスを与えて、親方同士が切磋琢磨することで相撲部屋の、そして協会の活性化を測るべきかもしれません。

 

日馬富士の暴行問題も根には八百長が潜み、相撲道に対する白鵬と貴乃花の対立があるとも言われています。臭いものに蓋をするのではなくて、この際、協会も親方衆も相撲道のあり方を真剣に見直してもらいたいものです。

平成29年12月28日